HOME > 四代目 焼肉ヤクザ
Story

焼肉ヤクザ Story - 第一章 -

東京は西のヤミ市、ブクロ(池袋)に生まれる。

幼少時代はイタズラ小僧で手がつけられなかったらしい。
中学時代になると、背中を実の兄に焼かれた親友と共に、時代錯誤の暴走族を立ち上げてケンカに明け暮れる。

高校には行った。
しかし、1校目は1週間で退学処分。2校目は初日で退学処分。3校目は学校に行かず雀荘通いがバレて退学処分。4校目でようやくちゃんと卒業できた。
卒業式で泣いたのは小学校以来だった。

空手やボクシングを習ってからはケンカの数が減り、同時にバンド活動に勤しむようになった。
高校卒業間近の就職活動中に、担任から先物取引の会社を勧められてキレた。
新小岩のオモチャ製造会社でモデルペインター(正社員)としてキャリアをスタートさせたが、超鬼ブラック勤務した挙句に手取り10万円の給与でキレた。辞めた。

ギターを片手にフリーターをやりながら世界を旅した。
内田裕也さんのニューイヤーロックフェスティバル開催2週間前に誘われ、死ぬ気で曲を作り、韓国のセジュン大学講堂で3000人の前でライブした。
※フジテレビに年末年始に放送された。
バンド活動で日の目を見ることはなく、大ケンカして解散した。

同窓会で再開した小学生時代の同級生を口説き落とし付き合った。
数年後、このままだとフラれる!という寸前で一部上場企業の営業マンになりなんとか繋ぎ止めた。

結婚したくて全国一位のトップセールスを記録した。
社長直轄の新規事業開発部に立候補した。
世界展開していた会社だったので、海外視察など多様な業務を任されそうになったが、家族との生活を重視して出世の話を蹴りまくった。
最後は民主党政権時代に経営不振に陥り社長交代のおり、派閥から追い出され、ブチ切れて退職した。
転勤がない中小企業に片っ端から飛び込んで自分を売り込み、束になるほど採用通知が来たが、地元製造メーカーの新規事業開発責任者の仕事を選んだ。
そのメーカーとその親族のマネーロンダリングに気づき、これでは先がないと判断し、嫁の実家の建築の仕事を手伝った。

その頃、実家のとらじ亭で37年勤め上げた料理長が辞めた。
実家に寄ってみると赤字の上に借金だらけ。
社長をやってみたかったので、とらじ亭に入店。

最初の2年は社長をやらせてもらえなかったが、2年間年中無休、朝から夜中まで働いて、とらじ亭の売り上げを3倍にし、借金を完済。
その後、商工会・税理士・弁護士・大家に根回しし、経営権を先代から剥奪。
とらじ亭過去最高売り上げを計上し法人化。
法人化後、赤字と黒字を繰り返しながら2年で都内4店舗に拡大。

現在、過去最大の赤字額を計上しながら、
今日も暑くマッコリを飲んでニッコリ笑っていたが・・・
(第二章へ続く!!)

焼肉ヤクザ Story
- 第一章 -

東京は西のヤミ市、ブクロ(池袋)に生まれる。

幼少時代はイタズラ小僧で手がつけられなかったらしい。
中学時代になると、背中を実の兄に焼かれた親友と共に、時代錯誤の暴走族を立ち上げてケンカに明け暮れる。

高校には行った。
しかし、1校目は1週間で退学処分。2校目は初日で退学処分。3校目は学校に行かず雀荘通いがバレて退学処分。4校目でようやくちゃんと卒業できた。
卒業式で泣いたのは小学校以来だった。

空手やボクシングを習ってからはケンカの数が減り、同時にバンド活動に勤しむようになった。
高校卒業間近の就職活動中に、担任から先物取引の会社を勧められてキレた。
新小岩のオモチャ製造会社でモデルペインター(正社員)としてキャリアをスタートさせたが、超鬼ブラック勤務した挙句に手取り10万円の給与でキレた。辞めた。

ギターを片手にフリーターをやりながら世界を旅した。
内田裕也さんのニューイヤーロックフェスティバル開催2週間前に誘われ、死ぬ気で曲を作り、韓国のセジュン大学講堂で3000人の前でライブした。
※フジテレビに年末年始に放送された。
バンド活動で日の目を見ることはなく、大ケンカして解散した。

同窓会で再開した小学生時代の同級生を口説き落とし付き合った。
数年後、このままだとフラれる!という寸前で一部上場企業の営業マンになりなんとか繋ぎ止めた。

結婚したくて全国一位のトップセールスを記録した。
社長直轄の新規事業開発部に立候補した。
世界展開していた会社だったので、海外視察など多様な業務を任されそうになったが、家族との生活を重視して出世の話を蹴りまくった。
最後は民主党政権時代に経営不振に陥り社長交代のおり、派閥から追い出され、ブチ切れて退職した。
転勤がない中小企業に片っ端から飛び込んで自分を売り込み、束になるほど採用通知が来たが、地元製造メーカーの新規事業開発責任者の仕事を選んだ。
そのメーカーとその親族のマネーロンダリングに気づき、これでは先がないと判断し、嫁の実家の建築の仕事を手伝った。

その頃、実家のとらじ亭で37年勤め上げた料理長が辞めた。
実家に寄ってみると赤字の上に借金だらけ。
社長をやってみたかったので、とらじ亭に入店。

最初の2年は社長をやらせてもらえなかったが、2年間年中無休、朝から夜中まで働いて、とらじ亭の売り上げを3倍にし、借金を完済。
その後、商工会・税理士・弁護士・大家に根回しし、経営権を先代から剥奪。
とらじ亭過去最高売り上げを計上し法人化。
法人化後、赤字と黒字を繰り返しながら2年で都内4店舗に拡大。

現在、過去最大の赤字額を計上しながら、今日も暑くマッコリを飲んでニッコリ笑っていたが・・・
(第二章へ続く!!)